『3月』第1章<

 やっぱり俺は運命なんて信じない。もし本当に運命とやらが存在するなら、廊下に正座させて悪戯でどれだけ人が傷つくか懇々と説教くらわせてやりたいところだ。

  確かにこいつはクラスメイトだったけど、女子ソフト部部長として輝かしい功績を残した姉貴と『本当に双子なのか?』って疑いたくなる程、地味で目立たなくて大人しい奴だった。

 そう言や俺とは別の意味で女子に囲まれてた気もするが…。女子の顔すら殆ど記憶しない俺が、とりわけ仲が良い訳でもないヤローの面なんか普段まともに見ちゃいなかったし、こいつちょっぴり化粧すらしてるし…。そりゃちょっとは似合ってると思ったけど。……大分見とれたりしたけど。
  性質の悪い冗談だ。こめかみを押さえたいところを堪えて、右手の中で埃を被っている黒髪を多少見られる形に整えて手渡しながら
「何かの罰ゲームな訳?」
と、思いつく限りで一番無難なあたりを聞いてみた。
  しかし(元)彼女は質問には答えず、カツラも無視してポケットからハンカチを取り出すと、差し出した右手の甲に当てようとした。ダイブして彼女を支えた拍子に、いつのまにか擦っていたらしい。
  最近の女ときたら、エアータオルが普及したせいか知らないが、ハンカチなんてそもそも持ち歩いちゃいない。ひどい奴だと『スタイリング』とか言って髪の毛で手を拭いたりしている。ところがそいつの取り出したハンカチは、今時どこで売っているのか真っ白な無地に小さなレースの付いた、正に『ハンカチーフ』って言葉の似合うハンカチで、つい「いいよ」とその手を払ってしまった。

  その瞬間、彼女(彼?)の顔色が変わった。
 「…………ごめんなさい…」
  消え入りそうな声で言われて、初めて自分のした事に気付いた。
 「違う、待てって!」
  逃げ出される前に手をつかんで捕まえる。
 「そんな白いハンカチ当てて、血のシミ付いたら落ちなくなっちゃうだろ!」
  だから―― と続けようとして、うつむいた彼女の顔がみるみると、また紅に変わっていくのに絶句してしまった。引き留めようとする余り手を強く握り締めていたらしい。表から勢いよく入ってきた春の風に、彼女のセーラー服とカツラの外れたショートヘアが大きく跳ねる。さらさらと柔らかそうな色素の薄い髪。咄嗟に身を固くした彼女の掌からは、こもった熱と一緒に小さく震えているのが伝わってきて、なんだか、すごく可愛い…。

  って、違うだろ! 彼女じゃねーじゃん。馬鹿か、俺は!!

  どうしようもなく混乱している。なんなんだ、これは??
 「……とりあえず、さ。それ脱いでもらう訳にいかねーかな?」
  ついその場にしゃがみんで言ってしまったが、しまった、これも失言だった。
 「あ、えっと、だからさ、そのカッコで来てなければ、なんだけど! 普段通りのカッコじゃないと、ちょっと緊張するっていうか! 脱いでくれって言うんじゃなくて、着てくれって言うか! …ンだあああっっ、もうっ」
  我ながら何言ってんのかさっぱりだったが、彼女(あああ、もういいか? 彼女で。めんどくせーから。)には伝わったようで、小さく頷くと小走りで教室へと戻って行った。助かった。少なくとも変態の汚名は免れたようだ。
  誰もいない昇降口は春の日差しが差し込んで暖かい。俺は段差に腰掛けて彼女のもつれた黒髪を直しながら、着替えが終わるのを待つことにした。ふと解く手に出来ていた擦り傷に目が止まる。あんなに躊躇いなく差し出せるあたり、あのハンカチは自前なんだろう。て事は、罰ゲームとかいじめの路線は消えた訳だ。まあ、いじめの線は初めから考えちゃいなかったけど。卒業してまでいじめなんて暇なことされるとも考えにくいし、そもそもいじめをされているような奴だったら、もう少しクラスで目立った存在になっていた筈だ。
  そうなると、やっぱり、アレの類なのか…?

  思わず天井を仰いで目を閉じる。自分の周りにそんな奴がいるなんて、考えた事もなかったな。ちゅうか俺、ソレに惚れてんだよね? え、惚れてんの? 男が男に惚れるなんて、そんなのあり得んのか!? ホントにこの俺が?? 違うだろ。だってアレは女だと思ったから、可愛いなーと思っただけで! 男に惚れるんだったら、すでに卒業前に惚れてて良かったってことじゃん、クラスメイトなんだから。全然、目にも留まらなかったぜ? 顔も朧なくらいだったし!
  そうだ、そうだ、と無理に自分会議が決着したところで奴が帰って来た。やれやれ、と振り返って見た奴の学ラン姿に、また絶句した。
「……ごめん、やっぱさっきのに着替え直して」

  そう言やこいつ、化粧してたんだった――。



  結局、俺たちは学ランで奴の家に帰る事になった。俺の動揺に気付いた『彼女』は、
 「大丈夫。もうちょっと待ってて、って言いに来ただけだから」
と言うと、植え込みの裏側にある水道で、身を隠すようにしながら器用に化粧を落とし始めた。確かにそこなら、植え込みのせいでグラウンドからも教室からも死角になる。よく考えてるよな。それにクレンジングまで持って来ているなんて用意周到だ。
 つまり奴は、学ランで登校して、校内で着替えて化粧して、また着替えて化粧を落として帰ってたって事だ。そこまでして……?
  考えれば考える程、アレの疑惑が確信に変わっていく。いや、人の趣味をとやかく言う義理は俺にはないよ? ないけどさ。

 「…ごめんなさい」
  化粧を落として完全に見知った姿に戻った『奴』は、小さな声でそう言った。
 「驚かせて…、怪我までさせて……。ちゃんと手当てしたいけど、保健室は使えないし…」
  確かに保健室に行ったら、卒業した身分にもかかわらず無断で忍び込んだのがバレてしまう。
 「いや、いいよ。大した傷じゃないし。つか怪我したの俺のせいだし。そっちこそ平気だった? その……とびかかったりして」
 「あ、ううん、平気」
  音が鳴るほどぶんぶんと首を振る。思い出したのか、また耳が赤くなっている。
 「じゃあ、これで」
 「あ、待って」
  気まずさに立ち去ろうとした俺を、慌てて引きとめようとしたそいつは(さっき首を振り過ぎた余韻が残っていたのかもしれない)腕をつかみ損なって、そのまま横に崩れ落ちた。今、変なコケ方しなかったか?
 「オイ、大丈夫か?」
  引き上げてみたが、またへたりと座り込んでしまう。
 「今、ひねったんじゃないのか?」
 「……かも」
  何でさっきのダイブじゃ無傷だったくせに、こんな何でもないところで…。ま、とにかく、しゃーない。
 「送って行くから。家、どこ?」
 「うん、すぐそこ。あの……ごめんね」
 「いーから」
 「ホントは家が近いからそこで手当てさせて、って言おうと思って引き止めたんだけど」
 「それで自分が怪我してちゃ、世話無いな」
 「……ゴメン」
 「だから、いーって」

  ちゅうか、やっぱ俺のせいだろ?

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