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 奴の家は、言葉通り学校のすぐ裏手にあった。この辺ではよくありがちな大きさの一戸建てだ。
 「どうぞ」
  送り届けたらすぐに帰るつもりだったが「手当てだけでも」と引き止められた。それに、まぁ、今日の一件で奴の私生活に興味が湧かなかった訳でもない。俺は右足を庇いながら歩く奴の身体を若干支えるようにして、開かれたドアに続いた。

 「うあ、ぁ…」
  見た瞬間、後悔した。何て言うか…、余りにも『予想通り』で。
 「コレ、姉貴の部屋?って事は……ないよな?」
  有り得ないだろうとは思いつつも、念のために口にする。
 「ううん、おね…、姉の部屋はもっと……シンプルだから」
  ああ、確かにそんなタイプだったよ。
  すっかり男姿に戻ったこいつには違和感を感じる部屋だ。淡いピンク色のレースのカーテンがかかった出窓にはチューリップの鉢植えと、耳に赤いリボンのついたファンシーなネコのぬいぐるみが仲良く並んで、午後の日差しを優雅に浴びている。白のカントリー調? のテーブルの上にはパッチワークのテーブルクロスと手作りと思われるクッキーが乗っていて、部屋に甘い匂いを漂わせていた。
  勧められて小花の刺繍が入ったクッションに座ると、擦り傷の手当てを受ける。俺の事より自分の手当てをまずやれよ、と思ったが、さっきから下を向いたまま一心に俺の擦り傷と格闘する姿を見ていたら、何だか言うのが躊躇われた。
 「ん? て事は、姉貴と部屋、別々なんだろ? よく制服借りれたなぁ。見つからなかったか?」
  この部屋の状況から察するに、化粧道具は自前だろう。でもセーラー服を自前で持っているとはさすがに思えない。
 「姉は、高校ソフトで推薦入学したから…。あっちの練習に参加しときたいって、おばさんとこに……」
 「下宿か? 大変だな。そうかアイツそんなに凄かったんだ」
 「でも居ても貸してくれたと思うけど…」
  それはつまり知ってるって事か!? …まあ、でもそうか。こんな部屋の状況で、しかも二卵性とは言え双子だ。気付かない訳がないだろう。
 「お姉ちゃんとは、良く逆になりたいって、言ってた」
 「へぇ?」
 「ホントは、野球やりたかったみたいで…」
 「ああ、確かに女で野球続けるのってまだまだ難しいもんな。それよりさ、それでいいよ」
  唐突過ぎたか、手当てをする手が止まった。でもこれでやっと俺の方を向いてくれる。
 「無理して姉とか、いいから。元だけどクラスメイトだし。話し易い口調で話してくれりゃあさ」
  少しだけ空気が緩んだか、ありがとう、と口元が上がった気がした。

 「なぁ、なんであんなトコで寝てたの?」
 「……今なら誰も居ないと思って……。ずっと、あそこに座りたかったから」
 「ふぅん」
  確かに窓際の一番後ろは人気の席だが、卒業してまでそこに座りたいと思うだろうか。そもそも学校に来たいと普通は思わないだろう。そうまでしてあそこに座りたかった理由は? …胸の奥がざわざわして止まらない。
 「なぁ」
  瞬間、心臓が跳ね上がる。俺、何聞こうとしてんだ、落ち着け!
 「もしかしてお前、俺のこと好きだったりした?」




  …………キョトンとされてる。


  キョトンとされてる! うわ~~~~~~っっっ、俺! ちょっ、馬鹿! 何言ってんの? 何言ってんだ!!
 「ちょっ、ゴメ違っっ! なし! 今のなしだから、忘れて!!」
  心の中でのた打ち回る。穴があったら入りたいとはこの事だ。俺の馬鹿! 自惚れ屋! 自意識過剰!!

 「……あの服で、あの席に座りたかったの。でもあったかいから眠くなっちゃって」
 「じゃあ、姉ちゃんが好きだったのか?」
  錯乱している。んな訳ないだろ! と心につっこみを入れた。でも奴はそんな俺の愚問にゆっくり考え込むように
「お姉ちゃんは、好きだよ」
と言った。
 「……ずっと、お姉ちゃんになりたかった」
  ああ、そうだ。確かにそう言っていた。何聞いてたんだ、俺は。
  俺の周りにいた女共は常に恋愛事しか頭になくて、しかも俺に惚れているのが当たり前だったから、ついその基準で考えてしまった。そうじゃなくて、こいつはただ純粋に憧れてただけなんだ。姉と、その立場に。だからわざわざリスクしょってまで、あの席で…。
 「うちのセーラー、この辺の学校じゃダントツに可愛いもんな」
 「…………うん。それに…」
 「何?」
 「…お姉ちゃんの服着せてもらえるのも、もう最後だと思うし……」
  そっか。こいつの理解者であり衣服の提供者である姉貴は、既にこの家には住んでいない。もしこのままソフトボールで身を立てる事にでもなったら、この家にはもう戻って来ないかもしれないんだ。
  何時の間にか俺の手当ては終わっていたようだ。背中を丸めて両膝の上で拳を握って座っているこいつの姿を見てると、なんだか放っておけない気がする。畜生。こんなすっぴんの、明らかにヤローの状態だってのに、何、振り回されてんだ? 俺は。
  堪らず出窓に目を向けると、レースの向こうでは柔らかな青空に雲がゆっくりと流れている。ああ、穏やかだなー…。こんないい天気の日に、俺はヤローと顔つき合わせて何やってんのかね? このファンシーな世界にあてられたせいで脳がうまく働いてなかったけど、何も中学最後の春休みにヤローの戯言に付き合う義理はねーよなー…。
  と、そこまで考えて顔を戻すと、全然冷静になれてない自分に向き合わされる。畜生、こいつ何だってこんなに…。俯いた奴の瞳に被さった睫毛は変わらず黒く光を捉えていて、教室での無防備な姿を思い出さずにはい

られない。
  駄目だ。俺、もう、さっきから思考がバラバラだ。大体こいつも悪いよ。そもそも春休みの教室に誰かいるなんて、それだけでも驚いたのに、あんな風に……綺麗になってるなんて。
  こいつ、俺に見つからなかったら明日も教室に行ったのかな? きっと姉貴が卒業するまで、この機会を楽しみにしてたんだろう。急に罪悪感が襲って来た。やっぱり何かしてやりたい。でも何を? ――考え付いた事に、俺は罪悪感以外の奇妙な感情が芽生えるのを感じた。

 「なぁ、デートしねぇ?」
  またきょとんとされているが、そんな反応も想定のうちだ。
 「これで最後なんだろ? だったら普段出来ない事やろうぜ。デートしよう、俺と。制服デート!」
  下を向いてしまった。くそ、これじゃ反応が見えない。
 「さっきみたいに、ちゃんと化粧してさ。待ち合わせして、普通のカップルみたいにさ。この辺が恥ずかしいなら遠出でもいいし。あ、俺相手じゃ役不足かもしれないけど、ちゃんとエスコートするから――」
  言いながらどんどん早口になっていく。今まで俺に告白してきた女共は、みんなこんな思いと闘ってきたのか? もしそうなら本当に尊敬する。早く、早く何か言ってくれよ、でないと――

「……残念だけど…」
  やっとで聞けた言葉に、愕然とする。何だ俺、結構期待とかしてた? 

さっき自意識過剰だって反省したばかりだってのに。きっと俺、今すげェみっともない顔してる。
 「さっきの足、ホントは結構痛くて。病院行かないと分かんないけど、外出はしばらく無理だと思う」
 「えっ、大丈夫か? 馬鹿だな、先に言えよ!」
  じゃあ今まで痛みを堪えて俺の馬鹿話に付き合ってくれてたのか? 遠慮にも程がある。
  進み出て奴のズボンをまくり靴下を外すと、右足首が真っ赤に腫れ上がって熱を持っていた。思わずイラっとくる。こんなになっても痛みを堪えているのに気が付かない鈍感な、信頼されてない自分に腹が立った。これじゃ断られるのも当然だ。
 「――とにかく、急いで病院行こう。歩けるか?」
  手を差し出すと、急に顔を上げて来た。突然のアップに心臓が跳ね上がる。
 「――だからね、」
  目が、逸らせない。
 「足が治ったら……でも、いい?」
  決意した顔だった。唇は小さく震え、繋いだ掌にはひやりと汗をかいている。きっと俺が知らぬところで、こいつの中にはいろんな葛藤があるんだろう。
  こいつは責任重大だ。軽々しいことを口にしたかと思ったが、そんな後悔よりも心が浮き立つのを止められない。やっぱり俺って考えなしなんだろうか。
 「最高のデートプランを考えとくよ」

  我ながら阿呆な台詞だ。やっちまったと顰めた眉に、『彼女』は最高の笑顔で答えてくれた。やっと本当の笑顔が見れた事にほっとして、繋いだ手から掬い上げるように身体を立たせてやる瞬間、学ラン姿の奴の袖を見て気が付いた。
 「……あ! 俺、制服持ってねェ!!」
 「そう言えば、昨日も今日も私服だったね」
 「卒業式に布になっちまったんだ。ああー、ごめん。今更だけど、俺は私服でもいい?」
  何が『最高のデートプラン』だ。始まる前からこれじゃ、先が思いやられる。
 「……昔、おばさんに買って貰ったワンピースがあるんだけど、お姉ちゃんゴテゴテして嫌だって一回も袖通してなくって。多分それならタンスに残ってると思う」
  それでもいい? と上目遣いに見つめてくる気遣いに思わず身震いする。
 「――もちろん! ついでに、目いっぱいおしゃれして来いよ」
  分かった。と微笑った奴の顔が紅く染まっていく。そうだ、足が治る頃には桜も咲いている。きっと満開の桜より、こいつの方が紅く色付くに違いない。俺は桜吹雪に浮かび上がる黒髪と薄紅色の頬を想像し、その日が来るのを待ち侘びた。