まえがたつからぜんりつせん


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女装

小説『3月』 第3章

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 奴の家は、言葉通り学校のすぐ裏手にあった。この辺ではよくありがちな大きさの一戸建てだ。
 「どうぞ」
  送り届けたらすぐに帰るつもりだったが「手当てだけでも」と引き止められた。それに、まぁ、今日の一件で奴の私生活に興味が湧かなかった訳でもない。俺は右足を庇いながら歩く奴の身体を若干支えるようにして、開かれたドアに続いた。

 「うあ、ぁ…」
  見た瞬間、後悔した。何て言うか…、余りにも『予想通り』で。
 「コレ、姉貴の部屋?って事は……ないよな?」
  有り得ないだろうとは思いつつも、念のために口にする。
 「ううん、おね…、姉の部屋はもっと……シンプルだから」
  ああ、確かにそんなタイプだったよ。
  すっかり男姿に戻ったこいつには違和感を感じる部屋だ。淡いピンク色のレースのカーテンがかかった出窓にはチューリップの鉢植えと、耳に赤いリボンのついたファンシーなネコのぬいぐるみが仲良く並んで、午後の日差しを優雅に浴びている。白のカントリー調? のテーブルの上にはパッチワークのテーブルクロスと手作りと思われるクッキーが乗っていて、部屋に甘い匂いを漂わせていた。
  勧められて小花の刺繍が入ったクッションに座ると、擦り傷の手当てを受ける。俺の事より自分の手当てをまずやれよ、と思ったが、さっきから下を向いたまま一心に俺の擦り傷と格闘する姿を見ていたら、何だか言うのが躊躇われた。
 「ん? て事は、姉貴と部屋、別々なんだろ? よく制服借りれたなぁ。見つからなかったか?」
  この部屋の状況から察するに、化粧道具は自前だろう。でもセーラー服を自前で持っているとはさすがに思えない。
 「姉は、高校ソフトで推薦入学したから…。あっちの練習に参加しときたいって、おばさんとこに……」
 「下宿か? 大変だな。そうかアイツそんなに凄かったんだ」
 「でも居ても貸してくれたと思うけど…」
  それはつまり知ってるって事か!? …まあ、でもそうか。こんな部屋の状況で、しかも二卵性とは言え双子だ。気付かない訳がないだろう。
 「お姉ちゃんとは、良く逆になりたいって、言ってた」
 「へぇ?」
 「ホントは、野球やりたかったみたいで…」
 「ああ、確かに女で野球続けるのってまだまだ難しいもんな。それよりさ、それでいいよ」
  唐突過ぎたか、手当てをする手が止まった。でもこれでやっと俺の方を向いてくれる。
 「無理して姉とか、いいから。元だけどクラスメイトだし。話し易い口調で話してくれりゃあさ」
  少しだけ空気が緩んだか、ありがとう、と口元が上がった気がした。

 「なぁ、なんであんなトコで寝てたの?」
 「……今なら誰も居ないと思って……。ずっと、あそこに座りたかったから」
 「ふぅん」
  確かに窓際の一番後ろは人気の席だが、卒業してまでそこに座りたいと思うだろうか。そもそも学校に来たいと普通は思わないだろう。そうまでしてあそこに座りたかった理由は? …胸の奥がざわざわして止まらない。
 「なぁ」
  瞬間、心臓が跳ね上がる。俺、何聞こうとしてんだ、落ち着け!
 「もしかしてお前、俺のこと好きだったりした?」




  …………キョトンとされてる。


  キョトンとされてる! うわ~~~~~~っっっ、俺! ちょっ、馬鹿! 何言ってんの? 何言ってんだ!!
 「ちょっ、ゴメ違っっ! なし! 今のなしだから、忘れて!!」
  心の中でのた打ち回る。穴があったら入りたいとはこの事だ。俺の馬鹿! 自惚れ屋! 自意識過剰!!

 「……あの服で、あの席に座りたかったの。でもあったかいから眠くなっちゃって」
 「じゃあ、姉ちゃんが好きだったのか?」
  錯乱している。んな訳ないだろ! と心につっこみを入れた。でも奴はそんな俺の愚問にゆっくり考え込むように
「お姉ちゃんは、好きだよ」
と言った。
 「……ずっと、お姉ちゃんになりたかった」
  ああ、そうだ。確かにそう言っていた。何聞いてたんだ、俺は。
  俺の周りにいた女共は常に恋愛事しか頭になくて、しかも俺に惚れているのが当たり前だったから、ついその基準で考えてしまった。そうじゃなくて、こいつはただ純粋に憧れてただけなんだ。姉と、その立場に。だからわざわざリスクしょってまで、あの席で…。
 「うちのセーラー、この辺の学校じゃダントツに可愛いもんな」
 「…………うん。それに…」
 「何?」
 「…お姉ちゃんの服着せてもらえるのも、もう最後だと思うし……」
  そっか。こいつの理解者であり衣服の提供者である姉貴は、既にこの家には住んでいない。もしこのままソフトボールで身を立てる事にでもなったら、この家にはもう戻って来ないかもしれないんだ。
  何時の間にか俺の手当ては終わっていたようだ。背中を丸めて両膝の上で拳を握って座っているこいつの姿を見てると、なんだか放っておけない気がする。畜生。こんなすっぴんの、明らかにヤローの状態だってのに、何、振り回されてんだ? 俺は。
  堪らず出窓に目を向けると、レースの向こうでは柔らかな青空に雲がゆっくりと流れている。ああ、穏やかだなー…。こんないい天気の日に、俺はヤローと顔つき合わせて何やってんのかね? このファンシーな世界にあてられたせいで脳がうまく働いてなかったけど、何も中学最後の春休みにヤローの戯言に付き合う義理はねーよなー…。
  と、そこまで考えて顔を戻すと、全然冷静になれてない自分に向き合わされる。畜生、こいつ何だってこんなに…。俯いた奴の瞳に被さった睫毛は変わらず黒く光を捉えていて、教室での無防備な姿を思い出さずにはい

られない。
  駄目だ。俺、もう、さっきから思考がバラバラだ。大体こいつも悪いよ。そもそも春休みの教室に誰かいるなんて、それだけでも驚いたのに、あんな風に……綺麗になってるなんて。
  こいつ、俺に見つからなかったら明日も教室に行ったのかな? きっと姉貴が卒業するまで、この機会を楽しみにしてたんだろう。急に罪悪感が襲って来た。やっぱり何かしてやりたい。でも何を? ――考え付いた事に、俺は罪悪感以外の奇妙な感情が芽生えるのを感じた。

 「なぁ、デートしねぇ?」
  またきょとんとされているが、そんな反応も想定のうちだ。
 「これで最後なんだろ? だったら普段出来ない事やろうぜ。デートしよう、俺と。制服デート!」
  下を向いてしまった。くそ、これじゃ反応が見えない。
 「さっきみたいに、ちゃんと化粧してさ。待ち合わせして、普通のカップルみたいにさ。この辺が恥ずかしいなら遠出でもいいし。あ、俺相手じゃ役不足かもしれないけど、ちゃんとエスコートするから――」
  言いながらどんどん早口になっていく。今まで俺に告白してきた女共は、みんなこんな思いと闘ってきたのか? もしそうなら本当に尊敬する。早く、早く何か言ってくれよ、でないと――

「……残念だけど…」
  やっとで聞けた言葉に、愕然とする。何だ俺、結構期待とかしてた? 

さっき自意識過剰だって反省したばかりだってのに。きっと俺、今すげェみっともない顔してる。
 「さっきの足、ホントは結構痛くて。病院行かないと分かんないけど、外出はしばらく無理だと思う」
 「えっ、大丈夫か? 馬鹿だな、先に言えよ!」
  じゃあ今まで痛みを堪えて俺の馬鹿話に付き合ってくれてたのか? 遠慮にも程がある。
  進み出て奴のズボンをまくり靴下を外すと、右足首が真っ赤に腫れ上がって熱を持っていた。思わずイラっとくる。こんなになっても痛みを堪えているのに気が付かない鈍感な、信頼されてない自分に腹が立った。これじゃ断られるのも当然だ。
 「――とにかく、急いで病院行こう。歩けるか?」
  手を差し出すと、急に顔を上げて来た。突然のアップに心臓が跳ね上がる。
 「――だからね、」
  目が、逸らせない。
 「足が治ったら……でも、いい?」
  決意した顔だった。唇は小さく震え、繋いだ掌にはひやりと汗をかいている。きっと俺が知らぬところで、こいつの中にはいろんな葛藤があるんだろう。
  こいつは責任重大だ。軽々しいことを口にしたかと思ったが、そんな後悔よりも心が浮き立つのを止められない。やっぱり俺って考えなしなんだろうか。
 「最高のデートプランを考えとくよ」

  我ながら阿呆な台詞だ。やっちまったと顰めた眉に、『彼女』は最高の笑顔で答えてくれた。やっと本当の笑顔が見れた事にほっとして、繋いだ手から掬い上げるように身体を立たせてやる瞬間、学ラン姿の奴の袖を見て気が付いた。
 「……あ! 俺、制服持ってねェ!!」
 「そう言えば、昨日も今日も私服だったね」
 「卒業式に布になっちまったんだ。ああー、ごめん。今更だけど、俺は私服でもいい?」
  何が『最高のデートプラン』だ。始まる前からこれじゃ、先が思いやられる。
 「……昔、おばさんに買って貰ったワンピースがあるんだけど、お姉ちゃんゴテゴテして嫌だって一回も袖通してなくって。多分それならタンスに残ってると思う」
  それでもいい? と上目遣いに見つめてくる気遣いに思わず身震いする。
 「――もちろん! ついでに、目いっぱいおしゃれして来いよ」
  分かった。と微笑った奴の顔が紅く染まっていく。そうだ、足が治る頃には桜も咲いている。きっと満開の桜より、こいつの方が紅く色付くに違いない。俺は桜吹雪に浮かび上がる黒髪と薄紅色の頬を想像し、その日が来るのを待ち侘びた。

小説『3月』 第2章

『3月』第1章<

 やっぱり俺は運命なんて信じない。もし本当に運命とやらが存在するなら、廊下に正座させて悪戯でどれだけ人が傷つくか懇々と説教くらわせてやりたいところだ。

  確かにこいつはクラスメイトだったけど、女子ソフト部部長として輝かしい功績を残した姉貴と『本当に双子なのか?』って疑いたくなる程、地味で目立たなくて大人しい奴だった。

 そう言や俺とは別の意味で女子に囲まれてた気もするが…。女子の顔すら殆ど記憶しない俺が、とりわけ仲が良い訳でもないヤローの面なんか普段まともに見ちゃいなかったし、こいつちょっぴり化粧すらしてるし…。そりゃちょっとは似合ってると思ったけど。……大分見とれたりしたけど。
  性質の悪い冗談だ。こめかみを押さえたいところを堪えて、右手の中で埃を被っている黒髪を多少見られる形に整えて手渡しながら
「何かの罰ゲームな訳?」
と、思いつく限りで一番無難なあたりを聞いてみた。
  しかし(元)彼女は質問には答えず、カツラも無視してポケットからハンカチを取り出すと、差し出した右手の甲に当てようとした。ダイブして彼女を支えた拍子に、いつのまにか擦っていたらしい。
  最近の女ときたら、エアータオルが普及したせいか知らないが、ハンカチなんてそもそも持ち歩いちゃいない。ひどい奴だと『スタイリング』とか言って髪の毛で手を拭いたりしている。ところがそいつの取り出したハンカチは、今時どこで売っているのか真っ白な無地に小さなレースの付いた、正に『ハンカチーフ』って言葉の似合うハンカチで、つい「いいよ」とその手を払ってしまった。

  その瞬間、彼女(彼?)の顔色が変わった。
 「…………ごめんなさい…」
  消え入りそうな声で言われて、初めて自分のした事に気付いた。
 「違う、待てって!」
  逃げ出される前に手をつかんで捕まえる。
 「そんな白いハンカチ当てて、血のシミ付いたら落ちなくなっちゃうだろ!」
  だから―― と続けようとして、うつむいた彼女の顔がみるみると、また紅に変わっていくのに絶句してしまった。引き留めようとする余り手を強く握り締めていたらしい。表から勢いよく入ってきた春の風に、彼女のセーラー服とカツラの外れたショートヘアが大きく跳ねる。さらさらと柔らかそうな色素の薄い髪。咄嗟に身を固くした彼女の掌からは、こもった熱と一緒に小さく震えているのが伝わってきて、なんだか、すごく可愛い…。

  って、違うだろ! 彼女じゃねーじゃん。馬鹿か、俺は!!

  どうしようもなく混乱している。なんなんだ、これは??
 「……とりあえず、さ。それ脱いでもらう訳にいかねーかな?」
  ついその場にしゃがみんで言ってしまったが、しまった、これも失言だった。
 「あ、えっと、だからさ、そのカッコで来てなければ、なんだけど! 普段通りのカッコじゃないと、ちょっと緊張するっていうか! 脱いでくれって言うんじゃなくて、着てくれって言うか! …ンだあああっっ、もうっ」
  我ながら何言ってんのかさっぱりだったが、彼女(あああ、もういいか? 彼女で。めんどくせーから。)には伝わったようで、小さく頷くと小走りで教室へと戻って行った。助かった。少なくとも変態の汚名は免れたようだ。
  誰もいない昇降口は春の日差しが差し込んで暖かい。俺は段差に腰掛けて彼女のもつれた黒髪を直しながら、着替えが終わるのを待つことにした。ふと解く手に出来ていた擦り傷に目が止まる。あんなに躊躇いなく差し出せるあたり、あのハンカチは自前なんだろう。て事は、罰ゲームとかいじめの路線は消えた訳だ。まあ、いじめの線は初めから考えちゃいなかったけど。卒業してまでいじめなんて暇なことされるとも考えにくいし、そもそもいじめをされているような奴だったら、もう少しクラスで目立った存在になっていた筈だ。
  そうなると、やっぱり、アレの類なのか…?

  思わず天井を仰いで目を閉じる。自分の周りにそんな奴がいるなんて、考えた事もなかったな。ちゅうか俺、ソレに惚れてんだよね? え、惚れてんの? 男が男に惚れるなんて、そんなのあり得んのか!? ホントにこの俺が?? 違うだろ。だってアレは女だと思ったから、可愛いなーと思っただけで! 男に惚れるんだったら、すでに卒業前に惚れてて良かったってことじゃん、クラスメイトなんだから。全然、目にも留まらなかったぜ? 顔も朧なくらいだったし!
  そうだ、そうだ、と無理に自分会議が決着したところで奴が帰って来た。やれやれ、と振り返って見た奴の学ラン姿に、また絶句した。
「……ごめん、やっぱさっきのに着替え直して」

  そう言やこいつ、化粧してたんだった――。



  結局、俺たちは学ランで奴の家に帰る事になった。俺の動揺に気付いた『彼女』は、
 「大丈夫。もうちょっと待ってて、って言いに来ただけだから」
と言うと、植え込みの裏側にある水道で、身を隠すようにしながら器用に化粧を落とし始めた。確かにそこなら、植え込みのせいでグラウンドからも教室からも死角になる。よく考えてるよな。それにクレンジングまで持って来ているなんて用意周到だ。
 つまり奴は、学ランで登校して、校内で着替えて化粧して、また着替えて化粧を落として帰ってたって事だ。そこまでして……?
  考えれば考える程、アレの疑惑が確信に変わっていく。いや、人の趣味をとやかく言う義理は俺にはないよ? ないけどさ。

 「…ごめんなさい」
  化粧を落として完全に見知った姿に戻った『奴』は、小さな声でそう言った。
 「驚かせて…、怪我までさせて……。ちゃんと手当てしたいけど、保健室は使えないし…」
  確かに保健室に行ったら、卒業した身分にもかかわらず無断で忍び込んだのがバレてしまう。
 「いや、いいよ。大した傷じゃないし。つか怪我したの俺のせいだし。そっちこそ平気だった? その……とびかかったりして」
 「あ、ううん、平気」
  音が鳴るほどぶんぶんと首を振る。思い出したのか、また耳が赤くなっている。
 「じゃあ、これで」
 「あ、待って」
  気まずさに立ち去ろうとした俺を、慌てて引きとめようとしたそいつは(さっき首を振り過ぎた余韻が残っていたのかもしれない)腕をつかみ損なって、そのまま横に崩れ落ちた。今、変なコケ方しなかったか?
 「オイ、大丈夫か?」
  引き上げてみたが、またへたりと座り込んでしまう。
 「今、ひねったんじゃないのか?」
 「……かも」
  何でさっきのダイブじゃ無傷だったくせに、こんな何でもないところで…。ま、とにかく、しゃーない。
 「送って行くから。家、どこ?」
 「うん、すぐそこ。あの……ごめんね」
 「いーから」
 「ホントは家が近いからそこで手当てさせて、って言おうと思って引き止めたんだけど」
 「それで自分が怪我してちゃ、世話無いな」
 「……ゴメン」
 「だから、いーって」

  ちゅうか、やっぱ俺のせいだろ?

>『3月』第3章

小説『3月』 第1章

 運命的な出会いなんて、早々落ちてるもんじゃない。人生まだ15年しか生きちゃいないが、これだけ言われ続けりゃ悟りもする。
  はっきり言ってこの15年間モテなかった時期は無かった。放課後の教室、裏庭の木の下、公園のベンチ、下駄箱のラブレター…。もう散々言われた。『運命を感じました』『あなたこそ運命の人だと信じてます』。冗談じゃない。こっちは会話どころか目もあった記憶すらないのに。

  昨日、めでたく中学の卒業式に臨んだ俺は、傲慢な女子の黄色い声にもみくちゃにされた。何だって今時この学校は学ランなんだよ、畜生。結局俺に残されたのは無数の擦り傷とボタンが引きちぎられてボロボロになった元制服の布だけだ。保健室に連れて行って介抱してやろうとか、破れた裾を繕ってやろうとかいう殊勝な女子なんていやしない。所詮奴らは俺をアイドルかペットだと勘違いして騒いでいるのが楽しいだけなんだ。
  その上騒ぎで貰った卒業証書までどこかへ置き忘れてしまった。仕方なく今日、もう二度と歩く事もないと思っていた坂道を歩いている。

 えー、…っと。卒業証書は、式の後に教室で担任から個別で渡されてー、その後、別れの挨拶があって……。謝恩会の間まで一時解散ってなった瞬間には、もう女共に囲まれて身動き取れなくなっちまったから、きっと教室の机の中だ。糞!
  制服は既に着られる状態ではなくなっていたので、仕方なく私服で学校に入る。今の時間は授業中だから後輩達に見られる心配は少ないけど、やっぱりちょっと格好悪い。俺はなるべく人に気付かれぬよう配慮しながら、こっそりと廊下を歩いた。
  ありがたい事に3年の教室は1階にあったので(3年は体力が無いからとか、受験の重圧に負けて飛び降りたりしないようにだとか、まことしやかな噂は流れていたけど真相は知らない)、誰にも会う事なく自分の―― いや、元自分の、か。教室に辿り着く事が出来た。
  生徒が誰もいないため電気の消された1階は、昼だというのに静かで薄暗かった。風に乗って、授業を行う教師の声や合唱する生徒達の声がわずかに聞こえてくる。ついこの間まで俺もこの中にいたんだよなぁ。春の風は心地良く、俺は自分の古巣を独占できる偶然に、今までの怒りを忘れて多少わくわくしながらドアを開けた。

  ……いや、独占じゃなかった。俺の席の隣で誰か寝ている。
  窓際の一番後ろにあたるその席は、確か女子ソフト部のキャプテンをしてた奴だった。しかし、その机に突っ伏している女は、明らかに運動なんかやらなそうな華奢な体格をしている。ていうか、あんな腰まであるようなストレートの髪の女は、このクラスにはいない筈だ。
  どのみちそっちに行かなければならないので、ついでに近づいて顔を覗き込んだ。長い睫毛の下には薄桃色の唇が中途半端に開いて、可愛らしく並んだ歯を覗かせている。完全に熟睡の状態だ。普段の状況だったら俺に会いに来たことも考えられるけど、卒業した今となっては、その可能性も薄いだろう。後輩がこっそりサボりに来てるのか?
  しばらく顔を見つめて考えていたが、ふと唇に何か白い物が落ちた気がした。
 「桜……?」
  何の邪念もなかった。ただ単純に口に何か付いているから取ってやろうと――手を伸ばすとぷにん、とはじき返されて、何かぬるぬるしたものが人差し指に付いた。
  その途端、ぱちりと音がするかのように彼女の瞳が開いた。驚いているからか、思ったよりずっと大きくて黒い。
 「あ、ごめん。起こしちゃった?いや、今、桜が口に――」
  まだ説明の途中だというのに、耳まで真っ赤にした彼女に思い切り突き飛ばされて尻餅をついた。
 「いてっ」
  思わず出てしまった声に、走り出しかけた彼女は勢い良く振り返ると
「ごめんなさい!」
とお辞儀をして、その勢いのまま、またUターンして消えてしまった。
  くるくると回るスカートと一緒にさらりと彼女を彩る髪がとても綺麗で、俺は怒ることも引き止めることも忘れてしまった。

確かに出会いで心がこんなに高揚するのなら、運命だと勘違いしてしまうのも仕方ない。



  家に帰って早速卒業アルバムをめくったが、それらしい黒髪は見つからなかった。やはり後輩だったんだろうか?
  翌日、俺はまた同じ坂道を登っていた。よくよく考えたら今の時期に桜なんてまだ咲いてないじゃないか。指についたのは多分リップクリームで、窓際だったからそれが光って見えたんだ。寝ているところを急に唇に触られて、きっと驚いた事だろう。ていうか俺、あの状況だと完全に痴漢なんじゃないのか?卒業直後にそんな汚名は避けたい。
  3月頭らしい爽やかな風が頬を撫でるのにさえ、いらいらと落ち着かない。なんでこの坂こんなに長いんだ! やけに喉が渇いて張り付く。遅刻寸前のダッシュの時だって、こんなに焦ったりしてなかった。

  ここに居るとは思ってなかったが、一応教室のドアを開けてみる。このクラスの生徒でないことは明白だったし、それより知り合いの後輩に聞いて回った方が確実だ。それでもここから先に覗いてしまったのは何故だろう。やっぱり運命って奴を信じたくなったんだろうか?まさか。
  しかし予想に反して(?)彼女は昨日と同じ場所で、同じように寝息を立てていた。ほっとするかと思ったが、身体は更に緊張して血が逆流する。近づいたら心臓の音で彼女が起きてしまいそうだ。
 近づこうとして、ふと足が止まる。彼女にとっては昨日の今日。とうに卒業した男が用も無いのに目の前にやって来て、こんな赤い顔で息を荒くしていたら、本当に変態だと思われても仕方ないんじゃないか?
 俺は彼女から4,5メートル離れると、一旦息を整えてからゆっくり呼びかけた。

 「あの……」
  彼女の瞼が持ち上がる一瞬、長い睫毛に光が流れた。今まで俺はこんなにしっかり女性の顔を眺めた事があっただろうか。見とれるって、こういう事を言うんだな。
 「…………!!」
  彼女は俺の顔を確認した途端、また身体を真っ赤に染め上げると勢い良く立ち上がった。元々白い肌の持ち主らしく、セーラーの襟から覗かせた鎖骨が紅色に浮かんで妙に色っぽい。
 「! 待って!」
  慌てて左をすり抜けて行こうとする彼女の腕を辛うじて捕まえた。捕まえて気付いた。俺、何言おうとしてたんだっけ?そう言や全く考えてなかった。ていうか、そもそも何しに来たんだよ、俺! 頭の中が真っ白になる。どうしよう、このままじゃ本当に変態だ。
  一瞬、腕を持つ力が緩んだ。その隙に、彼女はその細い腕からは予測できない力で俺の手を振り解くと教室を飛び出した。駄目だ! ここで見失ったらもう会えない! 理屈というより直感でそう思った。
  こちらも慌てて後を追う。彼女の足は案外速く、既に昇降口に向かってカーブしたところだ。大丈夫、靴を履き替える時間を考えればまだ間に合う。俺は必死でダッシュして昇降口への角を曲がった。丁度彼女は靴を履き替え、こちらを伺うように振り返ったところだ。間に合え――!!

  …こんな時雄の本能というのは恐ろしいもので、俺はまだ挨拶も交わしたことのない彼女に向かって思い切りダイブしていた。…ああ、変態確定だ……。



  転倒して数十秒も経っていなかったと思う。目を覚ました俺の右手にはしっかりと彼女のストレートの黒髪が握られていて、そこから先は何もついていなかった。まさか、生首!? な訳はない。
 「これ、カツラ……?」
  視線の先に影が落ちたので仰ぎ見ると、目を潤ませて彼女だったヤツが脇に佇んでいた。

  ――何てこった……。

  多分、俺にとって彼女は初恋だったんだ。自分がこんなに恋愛に不器用だったなんて思わなかった。今まで俺にとって女というのは、勝手に寄ってきては祭り上げ付きまとう、煩い生き物でしかなかった。それが一瞬でこんなに気持ちが制御できなくなるなんて……。俺は今、自分を叩きのめしたい気持ちでいっぱいだ。
  俺はそいつに見覚えがあった。セーラーの裾をつまんで今にも泣き出しそうな表情で震えているそいつは、俺のクラスメイトで隣の席だった女子ソフト部部長、の双子の弟に間違いなかった――。


>『3月』第2章

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サークルプロフィール
「まえぜん」について
「まえぜん」とは、"まえがたつからぜんりつせん"の略。
オリジナル創作小説の個人サークルです。
PNはサークル名と同じ"まえぜん"。
子育てライフ満喫しながら、まったり活動再開妄想中^ ^;



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同性愛・BL・百合・ショタ・ロリ・SM・女装・近親相姦等、無節操に恋愛物を取り扱っていく予定&気が向いた時更新。
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